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長野地方裁判所諏訪支部 昭和49年(ワ)24号 判決

原告

松本義範

松本輝

右両名訴訟代理人

松村文夫

被告

岡谷市

右代表者

林浩正

右訴訟代理人

千野款二

主文

1  被告は原告松本義範に対し金三二七万七、四七一円、原告松本輝に対し金三二〇万二、四七一円及び右各金員に対する昭和四六年二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告等のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告等の、その余を被告の負担とする。

4  この判決は第1項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因第一項(当事者)、及び第二項(事故の発生)中訴外亡松本弘が昭和四六年二月二三日午前一一時頃市立岡谷病院本館中央階段付近で転落し、よつて頭蓋底骨折脳挫傷により同日午後三時四七分同病院において死亡したことは当事者間に争いがない。

二被告の責任について

1  〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

(一)  本件階段は岡谷病院本館中央付近に位置し、同病院関係者及び来院者等が昇降の用に供することを本来の目的とし、手摺りはこれら利用者の転落防止のために設けられたものであるところ、その形状は概ね別紙図面のとおりであつて、階段手摺りには縦が最大四五センチメートル、最小二一センチメートル、横が八四センチメートルのカギ型の直線によつて囲まれた不整型の空間があり、各階とも吹き抜けの構造で防護網等は設置されてなく、床面は合成樹脂フローリングタイル張りで滑り易い状態であつたから、二歳前後の幼児が右階段の手摺りの隙間から身を乗り出したりすれば転落する危険が多分にあるものであつた。そして同病院小児科及び待合室は本館二階にあつたから、小児科への受診者、主として幼児及びその監護者等は勿論右階段を利用するのを通例としていた。

(二)  原告輝は本件事故発生の日午前九時頃長男弘(当時一歳一一月)及び次男章(当時三月)両名を連れ、感冒の診察を受けさせるため同病院へ来院し、一階受付けで受付けを済ませた後、弘の手を取つて本件階段を上つて小児科待合室に入つた。ところで同病院は岡谷地方唯一の公立総合病院であつたから、常日頃から患者が多く、受診者等は受付けから受診まで二時間ないし三時間も待たされることがしばしばであつたが、この日の小児科も例外ではなく、二〇組位の受診者等が待合室に入り切れず、廊下などで順番を待つている状態であつた。原告輝は本件事故発生の時まで右待合室から出たことはなかつたが、漸く独り歩きのできる弘にとつて、長時間同所で静かにしていることは元々不可能に近いことであつたし、同待合室は広さ約一三平方メートル位の狭い部屋で、同所にはテレビ、玩具等子供の興味を惹くものは何もなく、勢い弘は原告輝の許を離れて、待合室出入口扉付近で他の子供達と遊んだり、時には廊下に出たりなどしていたが、同原告は弘の動静には絶えず注意していた。ところが、同日午前一一時頃に至り次男がむずがるので同人を背中から下し、ベンチに腰掛け、同人にミルクを飲ませている隙に、弘は廊下へ出て本件階段の方へ行つてしまつたが、同原告は授乳に気を奪われていて、これに気付かず、小児科診察室から順番を呼ばれ、初めて弘の姿が見えないのに気付き、同人を捜して廊下へ出、階下へ下りてみたが、その時は既に弘は階段から転落していた。その間わずか三、四分の出来事であつた。

(三)  弘が右階段のどこからどのような形で転落したか、具体的詳細には判明しないが、同人が階段を単に昇り降りしていただけでは本件階段及び手摺りの構造からみて、手摺りの隙間から転落することは起り得ないと思われる。したがつて、同人は右階段で遊んでいるうち、右階段の上から二、三段目付近隙間から身を乗り出して下をのぞくなどしたところ、重心を失い、その直下約3.4メートルの一階床面に墜落したものと認めるのが合理的である。

以上の事実が認められ右認定を左右するに足りる証拠はない。

2(1)  被告は、病院ひいては本件階段は子供達の遊戯の場所ではないし、いずれも関係法規に基づき設計建築されているうえ、本件事故は階段設置本来の用途とは全く関りのないことから発生したものであるから、階段として備えるべき性質に瑕疵がない旨主張する。

しかし営造物の設置及び管理の瑕疵は、法令の規定に従つていれば済むというものではないし、抽象的に病院ひいてはそこに設置された階段本来の用途、目的の見地からのみ判断されるべきものではなく、当該営造物全体の中で現実に営んでいる働きや、周囲の状況などを具体的に検討し、通常予想される危険の発生を防止するに足りる性質、構造を備えているか否かによつて判断されなければならない。

そうすると前掲証拠並びに前認定事実によれば、本件階段は多数の幼児がこれを本来の用途に利用する他、病院の機構、診察時間、患者数等の関係上、順番を待つ幼児が、監護者の監視の目を離れて右階段で遊び、危険を弁えずその手摺りに近付き、時には好奇心から手摺りの隙間から下をのぞこうとし、くぐり抜けられる空間でもあれば同所から身を乗り出すなどすることもあり得ることが容易に予想されるうえ、このような場合、頭が重く、手足の力もしつかりしていない幼児がバランスを失つて右隙間から下へ転落することもまた容易に予測される。

ちなみに、同階段に接する二階廊下から吹き抜けへの転落防止用に設けられた手摺りには、従前から腰板の他、全面に金網が張られており、このことは同病院においても右のような危険を予測していたことを窺わせる。しかるに、本件階段及び手摺りにはかかる事態を予測して、幼児が手摺りの隙間から身を乗り出すことができないようにするとか、転落防止の為の防護網を設けるなど、事故の発生を未然に防止すべき設備を備えていなかつたものであるから、本件階段(及び調摺り)の設置及び管理に瑕疵があつたという他はなく、乙一ないし三号証証人上原長雄の証言も右認定を動かすに足りず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2)  なお被告は幼児の患者には必らず監護者が付いており又付くべきであるから、病院としては、これら監護者の監視に従わない幼児のあり得ることまで予想して設備する義務はない旨主張するが、前認定のような状況下において、監護者が監視の義務を怠ることがあつたからと言つて、これが原告等の過失として斟酌されることがあつても、本件階段の設置及び管理に瑕疵がなかつたことにならないことは言うまでもない。

3  よつて被告は原告等に対し本件事故により弘及び原告等の受けた損害を賠償すべき義務がある。

三損害

1  弘の損害 金一、〇四〇万九、八八七円

(一)  逸失利益 金九四〇万九、八八七円

(1) 前認定の事実及び当裁判所に顕著な事実によれば、弘は事故当時一歳一一月の健康な男子であつて、その平均余命は七〇歳であり、右事故に遇わなければ一般の労働者として、少なくとも満一八歳から六三歳まで即ち死亡後一七年を経た時から六二年後まで十分に稼働し得たであろうことが認められる。そこで労働大臣官房統計情報部編昭和四八年度賃金構造基本統計調査報告第一巻第一表「賃金センサス」によれば全産業労働者男子の平均月間、きまつて支給する現金給与額は金九万一、四〇〇円、年間賞与その多特別の給与額は、二八万〇、五〇〇円であるから年間所得額は合計金一三七万七、三〇〇円となり、生活費として相当額すなわち五〇パーセントを控除し、年毎ホフマン式計算により年五分の中間利息を控除して死亡時における現価を算出し、更に、弘が稼働開始に至るまで一七年間に要する養育費として年額一二万円が相当と解されるから、これについても同様中間利息を控除して現価を算出し、これを前記所得額から差し引くと次のとおり金一、〇七三万八、三四六円となり、右を以つて弘の逸失利益として相当と評価する。

(2)算式

120,000×12,0769=1,449,228

10,859,115−1,449,228=9,409,887

(二)  慰藉料 金一〇〇万円

前掲証拠を綜合すると、本件事故により弘の受けた精神的苦痛を慰藉するには右金額を以つて相当と認める。

2  相続 各金五二〇万四、九四三円

原告両名が弘の両親であつて、弘の死亡によりその権利の各二分の一宛を相続したことは当事者間に争いがない。

3  原告等固有の損害

(一)  慰藉料 各金一〇〇万円

前掲証拠によれば、弘は原告等の長男として、当時満一歳一一月の可愛いい盛りで同人に対する原告等の愛情と期待は人一倍であつた。しかるに本件事故で同人を失つた親の悲嘆は察して余りがある。よつて原告等の受けた右精神的苦痛を慰藉するには右金額をもつて相当と認める。

(二)  葬儀費用 金一五万円

原告義範本人尋問の結果によれば同原告が弘の葬儀のため金一五万円余を支出したことが認められるから、これを以つて相当な損害と認める。

(三)  弁護士費用 各金二〇万円

同証拠によれば原告等は本件事件解決を弁護士に依頼し、これまでに費用として金一〇万円を支払い、成功報酬として金四〇万円を支払う旨約束していることが認められるが、本件訴訟に至る経緯、事件の難易等一切の事情を斟酌すると合計金四〇万円が相当な損害と認める。

四過失相殺

前認定の本件事故の態様、弘と原告等の身分関係、原告輝が弘に対する監督、監視を欠いた事実及びその程度等本件に現れた一切の事情を綜合すると、本件事故の発生については公平の見地から弘及び原告等を含めた被害者側の過失として五割と認めるのが相当である。

五結論

よつて原告等の請求中被告に対し、原告松本義範において金三二七万七、四七一円、同輝において金三二〇万二、四七一円及び右各金員に対する本件事故の発生の日である昭和四六年二月二三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においては正当であるから、これを認容し、その余については失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。 (福田晧一)

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